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「ワグネルが生んだプロ音楽家」
リンツ・ブルックナー管弦楽団 首席トロンボーン奏者 清水真弓さん(2004卒・Tb)


既にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下BPO)の舞台に乗るなど、輝かしい実績を残している、ワグネル卒・トロンボーンの清水真弓さん。
今秋からオーストリアのリンツ・ブルックナー管弦楽団の首席トロンボーン奏者として本格的な活動を始める直前に、帰国していた彼女を取材しました。

取材:デア・リング副編集長 稲葉 光亮(1985卒・Tu)



※これは、紙版「Der Ring」に掲載された部分を含む、インタビュー全編(80分もお話を聞きました!)に、後日清水さんが遠くリンツから、事実関係の修正やお話の補足をしてくれたものです。
膨大ですけど、彼女の熱い思いが篭っている貴重な取材録です。是非最後までお読み下さい。

<清水真弓さんの、ワグネル卒業後の略歴>

2004年 3月 ワグネル卒業
2004年 9月 慶應大学理工学部大学院を休学しウィーンへ留学
2005年10月 フライブルク音楽大学入学(〜現在)
2006年 7月 パシフィック・ミュージック・フェスティバル(札幌)に参加(2007年も参加)
2007年10月 BPO「カラヤン・アカデミー」所属(〜現在=取材時点)
2009年 4月 リンツ・ブルックナー管弦楽団の首席トロンボーン奏者オーディションに合格

この間、グダニスク国際金管楽器コンクール第1位、ドイツ・ワインガルテン音楽祭トロンボーンコンクール第1位など、様々なコンクールに入賞。
またオーケストラ活動としてこれまでBPOの他、ベルリン国立歌劇場、ベルリン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ・オペラ、ヴュルツブルグ市立劇場などで演奏。




写真@札幌で開催されたPMF(指揮はゲルギエフ)での着物ショット。(2006年7月)
両脇の2人はいずれもジュリアード音楽院出身。左の人はチューリッヒのオペラ座のバストロンボーン奏者になり、右の人はバッファロー・フィルの2番奏者になっているとのこと。



●現在に至るまでの経緯

――いつ頃プロを目指そうと思ったのですか?またそのきっかけは?
正直言うと(プロを目指そうとは)あまりハッキリ思っていなかったんですよね。何をもってプロ、ということもありますし。とにかく私はずっとトロンボーンを究めたいと思って、中高大とずっとトロンボーンばっかりやっていました。今でもそうです。」

――トロンボーンを究める、というお気持ちがありながら、音高→音大ではなく慶應義塾を選びましたね。学部も理工学部、大学院まで行きました。
これも正直言うと、どうしようか、というビジョンがハッキリなかったんだと思います。だから大学も院まで行ったのも、ちょっと“先延ばし”をした、という感覚で・・・頭はあまり良くないですけど(編集委員注:イヤイヤそんなことはないですよ!) 要領はよかった方なので、そこまでは進めました。慶應にいられたことは本当に良かったと思っています。色んなことを学べましたし、この間に沢山の人と知り合うことができたので、とても有意義な時間だったのかなと。

――ワグネル卒業後、まずウィーンに行かれました。それからフライブルク、ベルリンですね。ヨーロッパを目指した理由は何かありますか?
実は語学留学が始まりだったんです。それにプラスしてトロンボーンも学べる、というセッティングを、なんと留学先を斡旋する会社にインターネットでお願いして。2005年の3月までという、半年期限のものでした。 ウィーンということは・・・まあ、音楽と言えばウィーンかな、くらいで全然深く考えていませんでした(笑)今から考えると本当に無知で無謀で笑えます。

――現地に行ってから、色々紆余曲折あったようですね。
はい。斡旋会社に紹介してもらったトロンボーンの先生というのが、実は街の私立音楽院のようなところの先生で、ああこの人の指導を受け続けていてもダメだな、と思いました。まぁ斡旋会社の人たちは全くの門外漢ですから、当たり前です。トロンボーンのレッスンというものをセッティングしてくれただけすごいことだと思います(笑)。そこで、ウィーン在住のオペラ演出家・高島勲さん(ワグネルの海外公演にもご協力戴いています)に相談しました。すると彼の知人を通してウィーン響Tbのフォグルマイヤーを紹介して下さり、定期的にレッスンを受けられることになりました。そして、年末にベルリンに遊びに行く際に、フォグルマイヤーが「どうせだったら僕の同僚にレッスンを受けてくれば?」とベルリン放送響Tbのマニャックを紹介してくれました。 ベルリンではワグネル先輩の石川博達さん(1996卒Hr・現ベルリン・ドイツ・オペラホルン奏者)にも会って色々相談したんですが、「ドイツのオーケストラで働きたいのなら、やっぱりドイツの音大に入った方がいいし、なるべく弟子をきちんとオーケストラに輩出している先生に師事した方がいい。トロンボーンだったら例えばスローカーの生徒たちは活躍しているみたいだよ。」とアドバイスされました。そこで、その直後のことなのですが、マニャックに音大入学のことを相談したところ、最初は「なんだこの子は」という目で見られたのですが、演奏をしたら目の色を変えてくれて、なんとスローカーを紹介してくれたのです。
その2ヵ月後の2月、スローカー先生に会うことができ、演奏をしたらOKをもらうことができ、その後の6月の受験で合格、秋からフライブルク音大で勉強することになりました。

――言葉の壁とかもあったんでしょうか?
楽器の上手いヘタだけでなく、語学力も重要になってくる場面もあるので、これはやるしかありません。ドイツ語はウィーン留学での半年で何とか習得しました。フォグルマイヤーとは最初の3ヶ月間は英語、年明けの1月からはドイツ語で会話をするようにしました。ベルリンでマニャックに見てもらった時は、二人ともたどたどしい英語でした(笑)
そうそう、ウィーン留学を終えてフライブルク受験までの日本での2ヶ月間は、ドイツ語を忘れないために、慶應の独文科にお邪魔させてもらったこともありました。

――音大で研鑽される傍ら、様々なコンクールやオーディションを受けてきたようですが、印象に残っているもの、というか、苦労話、こぼれ話などのエピソードがあれば聞かせて下さい。
そうですね。コンクールを受けるのはまず単純にソロを吹くのが好きなんです。それに特にトロンボーンという楽器の性質上、オケだけを吹いていてはかなり偏りがあり、小回りが利かなく、不器用になると思います。そういう意味では、「コンクール」という形式である必要は無いですが、ソロを通しての修行は大切だと思います。
実は留学する前からも国内で色々なコンクールを受けていたのですが、こうした理由に加えて、音大ではなく一般の大学に行っててもこれだけ吹けるんだぞ、という気持ちもありました(笑)
プロオケのオーディションは、一番最初に受けたのは音大入学の半年後、本格的に色々受けたのはカラヤン・アカデミー2年目だったと思います。BPOの時(後述)はフィルハーモニーの大ホールで一人で吹けてよかったです。逆に某オケのオーディションでは、伴奏のピアノがアップライトでたまげました(笑)。また他のオケで、コレペティトール(団専属の稽古伴奏者)がオーディションの曲の伴奏が満足に弾けなくて唖然としたとか。スタイルもオケによって様々で、受験者が分からないようにカーテン審査をするところもありますし、審査の回数も2次で終わりだったり、4次まで続いたり色々です。

――PMF(環太平洋教育音楽祭・1990年から毎年札幌で開催)にも2回ほど出られていましたね。
PMF、楽しかったです。海外留学生の私にとっては、タダで里帰りできて良かったです(笑)。参加者のレベルも高く、特に2006年は他のトロンボーン2人(ジュリアード音楽院出身)も上手で勉強になりました。講師陣も3種類のトップオケの人たちというとても良い環境でした。

――カラヤン・アカデミーにはどのような経緯で?またそこで得たものはどんなことでしたか?
こちらではオケのオーディションを受けるには招待状をもらわないといけません。応募が殺到する中、全員を招待することはできないので、必然的に経歴を見てふるいにかけることになります。そういう意味で、皆、オケのアカデミーや研修生などのオーディションを受けて自身の経歴書に書くことを増やしていくわけです。
残念ながらアジア人女性ということで不利になることも多い中、他でポイントを稼がなければと思っていた私は、早い段階からどこかのオケで研修を積みたいと考えていました。そんな中でPMFに参加していた時に、BPOのバストロ奏者・シュルツからカラヤン・アカデミーの受験を勧められたりして、無事合格することができたので良かったです。
トロンボーン吹きとして生きていくとは言っても、やはりオーケストラに所属することは大事だ、と思ったんです。実際、ソリストとして生きて行ける人は全世界に数えるほどしかいないわけじゃないですか。それに、オーケストラで実績を作っていくということはキャリアとして自分に付いて行くので、その重要性を認識しました。カラヤン・アカデミーではオーケストラの研修生ということで、奨学金をもらいながらBPOの舞台に乗るなどの経験ができるので大変有益でした。

――BPOの舞台には実に数多く乗っていますが思い出深い舞台の話があれば・・・
一つ一つがみな興味深かったですねー。でもやはり昨秋のベルリン・フィルの日本公演は思い出深かったですかね。母国に、ベルリン・フィルの奏者として帰って来たというのは嬉しかったです。曲は「田園」だったので大した役割ではなかったですけどね(笑)ブラームスのプログラムの方は、ベルリンでレコーディングがあったのでそのメンバーには入れませんでしたが。
それと、BPOでは1月にトロンボーンのオーディションがあって、私は残念ながら最終審査でデンマーク人の男性に負けちゃったんですが、一次審査に通ったことは大きな収穫でした。BPO団員の過半数が認めてくれないと一次審査は通りませんので。これによって団からの信用を得て、オーディションに通った人が(現在の所属オケの関係で)9月からBPOに入ってくるまでの間、私の出番が随分ありました。メータ指揮のR.シュトラウス『家庭交響曲』、小澤征爾さん指揮のメンデルスゾーン『エリア』など。当然、ラトル指揮の舞台もありました。

――答えたくない質問かもしれませんが、こうした中での挫折、というか、夢が遠のいたような経験がありましたか?またそれをどのように克服できたのでしょう?
例えば、ブログではヨーロッパ人とアジア人のハンディキャップ?に触れていましたが・・・

うーん、そうですね・・・確かに、ヨーロッパで勉強するアジア人が増えている一方で、オケや歌劇場の方もヨーロッパ人を取りたい、という考えもあるんだと思います。まぁ、自国や同じEUの音楽家を優先的に取る気持ちは当たり前の動きですし、仕方が無いとは思うのですが、実際外国人である自分にもかかってくる問題なので難しいところですね。
確かに私も「あと一歩で受からない」ということが結構続きました。どこのオーディションでも一次は殆ど受かっていたのですが・・・そう言えば、ヒロタツさんがいるベルリン・ドイツ・オペラでも最終審査まで行ったのですが、何だかんだで合格者なしということになりました。まぁ、日本人女性、という印象は特にトロンボーン奏者にとっては決して有利ではないと思います。
でも私は上手く行かなかったからと言ってウジウジしたことはないですね。(落ちた)その時は一時的にギャーギャー叫んで、でも後はケロッとする、という感じでしたかね(笑)

――オーディションの話が続いたので、ちょっと楽器のことに触れても宜しいですか?
現在、オーケストラで使用しているのは、1月に買った、クロマト(Kromat)というドイツ管です。いい加減新しい楽器を買おうと思っていたところだったので、ついでにBPOのオーディションのタイミングに合わせて購入しました。クロマトは伝統的なドイツ管ではなく、アメリカとドイツの間の子のような感じです。買って間もない楽器でのオーディションは少しリスクもありますが、日本演奏旅行あたりから、BPO団員から借りていたクロマトを吹いていたのもあって、当日の演奏は上手くいったと思います。しかし、今でもソロ演奏時などには、それまで使用していたコーン(CONN・米国製)も使っています。こちらのコーンの方はワグネルの仲間でも知っている方が多いかとは思いますが、中学3年の時に購入したもので、野球応援からBPOの演奏会まで大変幅広く活躍してくれました(笑)



写真ABPOデビューの舞台。曲は「我が祖国」。ベルリン・フィルハーモニーホールにて。(2007年10月)


●プロとしての新しき道

――さてそして、今春、リンツ・ブルックナー管弦楽団のオーディションに合格しました。経緯と感想を教えて下さい。
一般に、お国柄、ドイツよりもオーストリアの方が閉鎖的と言われていて、ドイツ人からも「オーストリアからは絶対招待されないよ」と言われていました。
ところが招待状が来たので、受けてみることにしました。皆にもあそこはオーストリア人しかとらないよ、と言われていたのですけれど。
でも、これは私の勝手な理論なのですが、オーストリアは、「オーストリア人」と「外国人」という分け方で人を見るのに対し、ドイツはまず「ドイツ人」、そして外国人の中でも「ヨーロッパ人」「その他の国」・・・という風に採用したい順が細かくあると思うんです。そのかなり下位に位置するのがアジア人ではないかと。つまり、オーストリアにとってはドイツは外国ですから、「オーディションに合格しにくい」という印象があるのでしょう。でも、日本人である私にとっては、外国人の中でもランク分けされるよりは、「外国人」という一つのカテゴリーにまとめてもらえる方がチャンスが増えるということになると思うんです。
オーディションは・・・長かったですね。2次審査で6人になり、3次で2人。普通だとその後に結果が出て終わりだろうと思うのですが、長時間待たされた後、「うちの音楽監督のためにもう1次演奏してください」と言われ、私一人で4次審査を行いました。まだ吹くの〜と思いましたが、とにかく最後までやりました。通常のオーディションだと、吹く側のコンディションづくりもあるため、オケスタ(オーディションの課題曲集)の中から自分で演奏する順番を選べるのですが、リンツでは常に向こうから順番を指定されました。ひどいんですよ、ブルックナーとかをバキバキ演奏させられた後に、pでハイトーン続きの曲とか。人によっては「あ〜あ、かわいそうに」と同情してくれていたみたいですが(笑)、それでもうまくいって、むしろ終わりに向かってどんどん良くなっていったんです。4次の後は割とすぐに「では、今度は楽器はいらないのでもう一度来てください」と会場に入れられ、団員に「我々の新しい首席トロンボーン奏者です」と私を紹介してもらえました。勿論嬉しかったのですが、カラヤン・アカデミーの時と同様、手放しに喜ぶというよりは、「ああー、受かったのかぁ」というホッとした気持ちの方が大きかったかもしれません。
ところで、リンツの人に、「君はオーストリアのプロオケ史上、初の女性トロンボーン奏者だよ」と言われました。

――リンツ・ブルックナー管弦楽団への期待のほどを・・・
名前からするとブルックナーばかりやっていそうですが・・・確かに他のオケよりはブルックナーの演奏は多いと思いますが、レパートリー自体は幅広いです。オーケストラは110人と規模も大きく、オペラとシンフォニーコンサートが半分ずつくらいです。演奏旅行も行なっていて、今度の11月はアメリカ演奏旅行でニューヨークなどに行きます。

――ご自身の当面の居場所が決まりました。ところでこれまでの付き合いはどうなるんでしょうか?また今後の予定など、決まっているものがあればお知らせ下さい。
カラヤン・アカデミーは2年契約ですので、いずれにせよ卒業です。フライブルク音大の方は1年後の夏に卒業予定です。でもまだ勉強したいことがあるので、大学院なども視野に入れています。しばらく日本に帰ることはできないかも知れませんが、来年の夏にはまた日本に帰ってくるつもりです。その時は演奏活動も考えていますし、家族や友達にも会いたいですしね。



B第5回グダニスク国際金管楽器コンクールでの演奏風景。グダニスク (ポーランド)にて。 (2009年5月)


●清水さんとワグネル

――プロとして活動する現在、ワグネルでの活動が、どのような形で役に立っていると思いますか?反対に、プロを目指すのに回り道ではなかったでしょうか?
技術面では・・・役に立たなかったですね(苦笑)。今は知りませんが、私のいた頃のワグネルはとにかくグループでの練習が多かったので、自分の技術を磨く時間が少なくなります。本当に自分だけのことを考えるなら、今思えば無駄な練習も多く、遠回りしたことも多かったかも。あっ、でもワグネルの4年間でオーケストラのレパートリーが増えたという点では助かりました。例えば音大ではオーケストラの機会は少ないですしね。 でも、そんな回り道を自ら好んで、進んでやっていた気がします(笑)。4年生の時は一応セクションリーダーなるものを務めていましたし、「なんでこんなに練習が必要なんだろう」と疑問を持ちつつも、自ら規定練習以外の時間に「追加パーレス」(懐かしい響き!) など自分に面倒くさいスケジューリングをして、研究室がおろそかになったりしてあっぷあっぷの状態。でも、みんなとわいわいやるのがきっと楽しくて仕方がなかったんでしょうね。まぁ、そもそもその時にプロがどうこうとかあまり考えていませんでしたからね。 また技術面とは別に、一つの目標を定めてみんなで頑張った、という経験は貴重でしたし、社会訓練にもなりました。時には真剣に正面から意見をぶつけ合うようなマジ付き合いもあり、これはとても大事なことだったと思います。それで飲めば仲直りできたし(笑)。同じ仲間として心底楽しめました。プロの世界では色々難しいですよ。一人一人が音楽家としてのプライドを持っているので、お互いにそれを尊重し合う為、ワグネルの時のような本音の言い合いはできません。

――来春にはワグネル現役が4年ぶりに演奏旅行でウィーンなどを訪れます。現役へのアドバイスが何かありましたら・・・
ヨーロッパに来てから、ワグネルでの経験がいかにラッキーだったかということに改めて気付かされましたね。ムジークフェラインで演奏できた、とか。なので、ワグネルにいる4年間という時間を十分楽しんで欲しいし、大事にして欲しいです。

――またワグネルのOBも多くの人が演奏活動を続けたり、演奏できないまでも音楽に触れる機会を大事にしています。そんなワグネルOBにどうぞ一言!
みなさん働き詰めで、週末などはゆっくりお休みになりたいところを音楽に時間を割いているわけなんで、とにかく楽しんで戴きたいですよね。アマチュアのパワーは凄い、と思っています。プロの演奏家という職人の「好き」とは違った音楽との付き合いの中で「本当に音楽が好きなんだ!」という、趣味にかける爆発的なパワーがあると思う。もちろん楽しむためのルール、というのもあるとは思いますが、あまりそれにこだわるとストレスになっちゃうので、それで苦しまないで欲しいと思います。大変だと思いますが、より多くの人が楽しんで演奏を続けて欲しいので。

――長時間、有難うございました!

【編集委員より】
「何事にも、自然体で体当たり!」という、才能だけでなく強い意欲と柔軟性・機動性を兼ね備えた、「練れた人」という印象を強く感じました。その「練り」の一部に、義塾での数年間、そしてワグネルでの活動経験が少しでも寄与してくれていたら嬉しいです。
尚、彼女の経歴詳細や、演奏活動などは、以下のご自身のHPで更に深く知ることができます。またブログには、現地での色々な出来事が飾らない言葉で楽しく記されていますので、是非ご覧になって下さい。

http://www.mayumi-shimizu.com/
(この中にブログもあります)



CBPO金管アンサンブルの一コマ。ベルリンにて。(2009年5月)
紙版Der Ringにコメントをくれた木田氏と、文中に出てくる石川氏も見に来てくれたそうです。


<こぼれ話>
清水さんには、紙版「Der Ring」の原稿確認の遣り取りの中で、同載した木田氏(1992卒・Tu)と別府氏(2000卒・Tu)のコメントも見てもらいました。本編では上記の膨大なインタビューを殆どカットしたので、最初は「私って何者だか分かるのかな?」と心配されたようですが、2人のコメントが載ったことで、雑誌の取材記事(※後述)とは違ったバランス感が出てよかった、と言ってくれました。
後で分かったんですが、木田氏コメントにあった、BPOで演奏する清水さんを見て興奮した、という演奏会では「シベリウス」ではなく「チャイコフスキーの4番」が演奏されたんだそうです。「シベリウスじゃなーい!直前で変わったんです!」と清水さんからツッコミがありました。

因みに雑誌の取材記事というのは、管楽器専門誌・月刊『PIPERS(パイパーズ)』2009年10月号(通巻338号)の特集記事で、5ページにもわたる長編取材記です。こちらの「Der Ring」とどっちが内容が深いか、機会があれば是非比べてみて下さい(笑)

『パイパーズ』のサイト





Dリンツ・ブルックナー管弦楽団のオーディションに合格したお祝い会。
左から2番目が師匠のスローカー先生。フライブルクにて。(2009年6月)
スローカークラスではオーディションに合格したり、コンクールで賞を取ったり、卒業試験を終えたりすると、本人がクラスの皆に飲み会・お食事会を招待する習慣があるそうです。つまり、この会は清水さんご本人による企画。