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子版Der Ring / Digital Der Ring
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 電子版Der Ring 「 ワ グ ネ ル に こ ん な 人 」 Vol.1


お弟子さんには、東海大学で加宮さんとめぐり会い、卒業後、芸大に進んだN響ヴィオラ奏者小野富士さんや、 芸大卒でジャズ・ポップスヴァイオリン奏者の中西俊博さんなど。松竹映画「ここに泉あり」では、岡田英次さんにヴァィオリンの演技指導も。

東海大学管弦楽団を指揮して38年!
 
加宮令一郎氏(51年卒・Va)


 「ワグネルの卒業生で、アマチュア・学生音楽の向上に長期間尽くされた大先輩がいらっしゃるということを知り、大変感激しました。ぜひ、みなさんに知っていただきたい」

 取材のきっかけは、昨年11月に行われた『東海大学OB管弦楽団』の旗揚げコンサート。演奏を聴いた若尾裕久会長からデア・リング編集長に送られた"感激"メールでした。

 旗揚げコンサートの指揮者、加宮令一郎さんは1951年、ワグネル卒。

『東海大学管弦楽団』の指導(音楽監督・常任指揮者)を1966年から38年間と長きにわたって務められ、 12月19日の第70回定期演奏会を最後に同管弦楽団の常任指揮者を退かれました。

  新しい年を迎え、松の内が明けてすぐ、若尾さんと文京区千駄木のご自宅に伺いました。

  「私が音楽の道に入った第一歩からお話ししましょうか」
 そうおっしゃって、語りはじめられた加宮さんの音楽人生は、たいへん興味深く、詳しくご紹介できないのが残念ですが、
 駆け足でご紹介すると・・・

 ●ヴァイオリンとの出会いは6才。当時在籍していた劇団(加宮さんは子役だった!)で音楽を担当していたのが新響(現N響)のヴィオラ奏者。
  ヴァイオリンを習うことに。
  「当時、分数楽器がなくて苦労しました。スズキが3/4を作ったというので10才ころから使いましたが体が小さかったのできつかった」

 ●その後、東京音楽学校(現東京芸術大学)付属の子どものための音楽教室「上野児童音楽学園」で6年間ヴァイオリンを学ぶ。
  「上野のにおいがしみこみ」東京芸術大学を受験することに。昭和19年、東京芸大入学。
  「江藤俊哉が受験すると聞いて、だめかなと思ったけど合格。男2人、女3人がヴァイオリンで入学しました。
   男子2人はオケではヴィオラを弾きなさい、と言われて、ヴィオラを弾き始めました。
   戦時下、空襲から楽譜を守るために"不寝番"として学校に泊まったことも」

 ●昭和23年芸大卒業。慶應義塾大学文学部に入学。ワグネルに。
  「ソリストとしてやっていくでもなく、物書きになろうか、などと迷って父が卒業した慶應を受けることに。1年間はまじめに三田に通いましたね。
   ワグネルでは中山冨士雄先生 のもと、ベートーヴェンのロマンスをソロで弾いた思い出があります」

 ●2年目からは、アルバイトでヴィオラを弾くようになり、いつしか、それが仕事に。
  「NHKのラジオ音楽の仕事でした。朝からずっと番組にあわせて生放送で演奏していました。
   録音の場合はLP。間違えると初めからやり直す、という時代です」

 ●NHKサロンアンサンブル、東京室内楽団などのヴィオラ奏者として活躍後、近衛秀麿主宰の「近衛室内管弦楽団」の創立に参加。
  首席ヴィオラ奏者として3ヵ月に及ぶヨーロッパ演奏旅行に参加後、フリーの音楽家に。
  「テレビの草創期で録音の仕事が増え、夜を徹して弾きました。稼ぎまくりましたね」

 ●東京オリンピックを前に、東京都交響楽団の創立に参加。
  「最初の2年はフリーの仕事もしていたのですが、3年目に契約を結び定年まで在籍しました」
      
「東海大学OB管弦楽団ファーストコンサート」
(平成16年11月27日 日本大学カザルスホール)撮影・相田憲克
 加宮さんが東海大学の音楽好きの学生たちと出会ったのはこのころです。
 「教え子から『12人くらいのアンサンブルなんですが、どなたか面倒を見てくれる人がいないでしょうか』と相談されて、とりあえず聴きに行った。 それで僕が面倒みますよ、ということになったんです」

 最初は都内だった練習場が昭和45年からは東海大学湘南校舎(神奈川県平塚市)に。加宮さんは週3回、火・木・土の3日間の練習すべてに、自ら運転する車で通い、 指導を続けたといいます。12人のアンサンブルも現在は団員80名のフルオーケストラに。

 その情熱の元になったのは・・・。
 「何でこんなにも通っちゃったのか、わからないですね。とにかく音楽が好きなんです。やめてしまいたい、と思ったことはありませんでしたね。 団員たちも頼ってくれましたしね。東海大学には清水にも学部があるんですが、そこから熱心に通ってくる学生もいて。僕は始めるとそうとうしつこいんですよ、何事も(笑)。 妻には『いじくりまわして壊してしまう』っていわれます(笑)。みなさん、よくついてきてくれたな、と思う」
 
  最後の演奏会を終えての心境を伺ってみました。

  「3年くらい前から切り替えどきかな、と思っていたので、寂しさも涙もないですね。
  今になって反省するんですけど、音楽以外何もやってこなかったので、本も読みたい、 料理もやってみたい。
  いろいろやってみたいことはある。死ぬまでに、もう一つくらい何かできるかなと思っているんですよ」

  終始、穏やかで、にこやかな加宮さんの表情からは、音楽を心から愛するお気持ち、そして大きな仕事をなし遂げた満足感、新たに始まる日々を充実したものにしていこう、 とする意欲が、ひしひしと伝わってきました。

デア・リング編集委員:田崎佳子(1981卒・Vn)